―瀬尾養蜂園は花を求めて旅をする、移動養蜂家です―![]()
| せおのりおのはなし ボクの親方 |
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| 蜂屋になって、初めての北海道に着いて間もない頃、おとちゃんが同業者の手伝いに行ってくると言い残し、飛行機で滋賀に帰っていきました。数日経って、北海道に戻ってきた日、車の助手席に乗っていたのが、おとちゃんの親方の息子さん、青木好行さんでした。そして、おとちゃんに「お前、布団と道具積んで、青木さんと名寄行け」と告げられたのです。青木さんが、ボクにとって親方になった瞬間でした。 うちの北海道滞在地は富良野市、親方の滞在地は名寄市です。距離にして約150km、時間にして約3時間離れているのです。当時ボクは18歳、親方は70歳位だったと思います。当然、若い衆のボクが運転して、富良野を出発したのですが、長い道中話すことがない。緊張してるし、何を話してよいものやら・・・、という状態でした。 それからは、親方の下で仕事をし、時間が出来たら3時間かけて富良野に行き、おとちゃんの手伝いをする、そしてまた名寄に戻る。こんな生活をしていました。 親方は、肺気腫という病気を患っておられたので、体力仕事はあまり出来ませんでした。仕事は大方ボクがやり、親方は日陰に腰を下ろしてそこから指示をするという感じでした。家に帰ると、食事の準備や、お風呂の支度などの家事もしましたよ。ですが、なぜか親方の洗濯だけはしたことがなかったな〜。とにかく、年齢差が50歳以上もあるので、ホントに話すことが・・・。夜も早く寝てました、9時くらいには。 先にも書きましたが、親方は体が悪かったので、検査入院なんかで滋賀に帰ることがありました。帰る前に、親方が親しい養蜂家のところにボクを連れて行き、「分からんことあったら、ここに来て聞け」と言い、その養蜂家には「よろしく頼む」と言って帰っていきました。そう言われていたので、ボクも分からないことがあったら、すぐに聞きに行きました。今思えば、相手の迷惑になるくらいに。遠くにいるおとちゃんに電話で聞くより、近くの(大)先輩に聞くほうがずっと早いですもんね。みなさん、ホントによくしてくれました。 親方には、平成元年と2年の夏の間だけ一緒に生活をしました。たったふた夏なので、何年も内弟子生活をした蜂屋から見ると、ただの研修程度かもしれませんが、その期間ホントに勉強になりました。今のボクがあるのも、その時期があったからだと思います。短い期間しかお世話になることが出来ませんでしたがでしたが、青木好行さんはボクにとって、とても大切な親方です。 親方は、平成12年11月17日お亡くなりになりました。 |
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