8月になると、ボクのいもうひとつの仕事の依頼が増えます。まぁ、仕事というほどではないのですが、富良野市に依頼されて、ススメバチの駆除をするのです。
富良野は、山に囲まれたところ。スズメバチの巣も結構あるんです。
一人暮らしのおばあさんちに、行ったときの話です。
スズメバチの巣の位置を聞いて、駆除開始。あっという間に駆除でき、おばあさんに「終わったよ」の報告。おばあさんは自分ちにスズメバチの巣が出来たことが、はじめてだったらしく「いや〜、富良野に58年も住んでるのに、はじめてだわ〜」って。聞かなくてもいいのに、ボクが「それまでは、どこにいたのさ?」って言ったことで、おばあさんの昔話を聞くことに・・・
そのおばあさんのうまれは、大正から昭和に変わる年。富良野で生まれ、2歳の時、お父さんが林業の機械を動かす技術があったため、樺太(今のサハリン)に渡ったそうです。
樺太は、農業ではお米は作れないものの、芋やビート、豆。また、水産はカニが豊富に捕れることで缶詰工場があり、石炭もザクザク掘れる鉱山なんかもあったそうです。映画館や食堂に集まる人で、町はにぎわい結構楽しい暮らしだったようです。
ただ、寒さは厳しく、眉毛が凍ることも、珍しくないとか・・・
おばあさんの青春の頃は、日本は戦争真っ最中。
当時、郵便局に勤務していたおばあさんは、為替や電話交換の仕事が終わると竹槍持って「エイ、ヤー」やっぱり、やってたんですね、その頃の女性は。
しかし、事態は急変。ソ連が日ソ不可侵条約を破棄、日本に宣戦布告(1945.8.8)。南樺太に侵攻すると、町中、あっという間に捕虜になったそうです。子供がいなかった女性は、丸刈りにしたそうですよ、ソ連兵に連れて行かれないように。それから約2年後、日本に引き上げるまでは、捕虜の生活を送ったそうです。
ボクが思っていた、捕虜の生活は、牢獄に囚われて、夜明けから日暮れまで、荒地を耕すというものでしたが、おばあさんたちは、朝7時に、銃を持ったソ連兵に連れられて、ある日は将校の家に行き、掃除や薪割り、ある日は缶詰工場に行って、カニ缶作り、日によって色々なことをしたそうです。缶詰工場の時には、カニを少々拝借したこともあるって、笑顔で話していました。
日本に引き上げて、子供さんを授かり、育て、独立させ、孫ができ・・・。旦那さんが亡くなった後は、農協で働き、退職後も、その手先の器用さから、農家さんに頼まれて75歳まで働いていたそうです。
「青春時代は、そんなふうで大変だったけど、子供たちの世話にならんで、何とかやってるんだよ」って、話すおばあさんの顔は誇らしげでした。
おばあさんは「すまんね〜、年寄りが長話して〜」と、いってましたが、また、聞きたいなと思いながらおばあさんちを後にしました。
2004年8月11日の出来事でした。 |